第四次のテニスブームが到来する

紀元前のエジプトに原型があったとされるテニスが日本に伝えられたのは18世紀、アメリカ人の医師/教育者であったリーランドが日本人に適したスポーツとして紹介しました。

用具の手配などに課題が多くボールをゴムまりで代用した軟式テニスが広められましたが、硬式に転向した慶應義塾大学が1913年に東洋選手権で大いに活躍し、有力校の硬式への転向が進められました。

このとき活躍した熊谷一弥選手選手は1920年のアントワープ五輪でシングルス、ダブルスともに銀メダルを獲得、五輪の歴史上で日本人が獲得した始めてのメダルとなりました。

日本人にテニスが合っていると考えたリーランドには、先見の明があったのでしょうか。

戦後の日本人選手たちは果敢に世界戦に挑み、多くの好成績を挙げています。

女子テニスのさきがけとなった加茂幸子選手が54年にウィンブルドン初出場3位、全米3位という成績を挙げ、翌年にはその兄である加茂公成選手と宮城淳選手のペアが全米ダブルス選手権で優勝を果たしています。

沢松&清村ペアが日本人女子で初めてウィンブルドンを制した1975年以来、1988年に松岡修造選手が全豪で本戦入りするまでは、四大大会に日本人の姿が見られる事がありませんでした。

第二次テニスブームのただ中でありまた好景気だった事もあり、わざわざ世界に挑まなくても国内でプロテニス選手の仕事が十分にあったからだ、と言われています。

平成に入ってからは男子は松岡修造選手、女子は伊達公子選手という二人のスター選手が日本のテニスを牽引しました。

松岡選手は1992年の韓国オープンにてツアーシングルス優勝、同年イギリス・クイーンズ・クラブ選手権で準優勝を果たします。

一方伊達選手は1994年にシドニーにて国外初のツアー優勝、グランドスラム4強入りなど「世界の伊達」と称される活躍を見せました。

1950年代終盤に「ミッチーブーム」と連動して起こった第一次テニスブーム、沢松&清村ペアがウィンブルドン女子ダブルスで優勝した1975年からの第二次テニスブーム、第二次の世代が第二の人生にテニスに帰ってきた2000年代、このときヒットした「テニスの王子様」になぞらえ「テニプリブーム」と言われた第三次テニスブーム。

これまで3回のテニスブームが起こっていますが、錦織圭選手がグランドスラム決勝進出という快挙を成し遂げた2014年、第四次テニスブーム到来と言われています。